人別帳と検地帳を繋げてくれた印鑑

家系図 ルーツ

第99

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1.家系図ニュース~「尿路結石」で病院へ!今は元気です
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こんにちは、行政書士の丸山学です。

全く先祖探しとは関係ない余談ですが、今週の火曜日の夜、事務所でいつもどおり仕事をしていましたら急にお腹と腰に酷い痛みが出てきました。
初めのうちは、お腹の調子でも悪いのかな?程度にしか考えていなかったのですが、やがて床にうずくまる程の痛みに…

腹痛で時間外に病院に行くなんて子どもみたいで嫌だなあ…なんて考えるも、そのうちこのまま一人でいたらマズイことになるかもしれないと思いなおし、自分で運転して救急病院まで行き、急遽、診察と検査を受けました。生まれて初めて車椅子に乗せられて、病院の各検査室を移動することになりました。

結果は「尿路結石」です。不思議なもので、あれほど痛かったのに座薬を使うと30分で痛みはピタリと収まりました。あの効き方は恐いくらいですね…

しかし、これから石が排出されるまでの間、あの痛みと断続的に付き合うのかと憂鬱な気分になりましたが、翌日の夜にはすっかり痛みがなくなりました。

知らぬうちに石が出てくれたのでしょうか?それとも、まだ体内に残っていて、そのうち痛くなるのでしょうか?よく分かりませんが、先祖調査の仕事はバリバリ再開しています。


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2.人別帳と検地帳を繋げてくれた印鑑
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上記のとおり、週の前半は思わぬ尿路結石なる病気になってしまいましたが、よく分からないうちにすっかり痛みもなくなり、昨日は「400年たどるコース」の調査のため某行政機関で大量の古文書と格闘してきました。

久しぶりに千枚ほど古文書の撮影を行いました。

この案件では、宗門人別帳を使って既に300年近く前のご先祖様まで判明させられていました。但し、人別帳が現存するのはそこまで。実際、多くの地域で人別帳は現存していても江戸中期頃までというケースが多いです。この案件でも同様だった訳です(但し、そもそも宗門人別帳が現存していない村の方がよほど多いです。念のため)。

あと、この村で現存しているのが『検地帳』です。検地帳というのは、人別帳と異なり毎年作成したりはしません。検地をやるとなると検地をやる領主側も多大な負担がかかります。ですから、天正18~19年頃のいわゆる太閤検地をやった後は、江戸時代前半に各地で検地が行われている程度です。

それ以降は、新田が開発された場合など、新たに検地をしなければどうしようもない時にだけ適宜行うというのが基本です。そのため村人全員の名前が登場してくるような検地帳というと、ほとんどが江戸時代前半のものです。

そして、人別帳と一緒で農民の場合には名字の記載はされていません。人別帳の場合には、名字がなくても家族構成や年齢などが記載されていますので、年代がある程度飛んでいても、一つの家をたどっていく事が可能です。

しかし、江戸時代中期まで人別帳をたどった後に、少し年代の離れた検地帳のなかで先祖を辿ろう(繋げよう)とすると結構難しいのです。
代々、当主が同じ名前を使用している場合はその名前ですぐに判断が付きますが、ご依頼人家の場合には代々の当主名(「庄右衛門」など)は存在するものの、一世代置きにその当主名を名乗っているようなのです(これも結構ありがちなパターン)。

そのため、江戸時代前期の検地帳には残念ながらその当主名が載っていなかったのです。

これは困りました。せっかく、ここまで漕ぎ着けたのに、ここで線がプツンと切れてしまう感じです。しかし、何か参考になる別の古文書はないかと目録で当たりをつけて次々と請求していきました。幸い、古文書自体は数多く残っている村でした。

そうしましたところ、検地帳と人別帳の間の年代に相当する『田畑反別名寄帳』なるものがありました。検地帳というのは、一筆ごとに名請人(その田畑の耕作者で、実質的に年貢を負担する人)が記載されていますが、どの村人も一筆だけでなく複数の田畑を所持しています。ですから、同じ名前が複数登場します。

一方の『田畑反別名寄帳』は文字どおり名寄せした帳面で、それぞれの村人を中心にしてその人が所持している(年貢負担をする)田畑が全て書き出されているというものです。

検地帳というのは、領主側からしてみれば誰が名請けしているか(誰がその田畑を所持しているか)という事は実は、どうでもよい問題なのです。
…と、いいますのも年貢は「村単位」で課していきます。

村の中で誰がどう負担しようと、徴収する側からすればどうでもいいのです。村単位で年貢をきちんと納めてくれれば文句はない訳です。ですから、極端な話、田畑の村の合計石高が分かればいいのです。

一方の村側からすれば、課された村単位の年貢を村内できちんと各農民に割り振る必要があります。そこで必要となるのが「名寄せ」という行為です。村人一人ごとに名前を書き出して、所持している田畑を一筆ごとに書き出すのです。1ページの最初に「清右衛門」と名を書きだした上で、そのページ内に彼が所持する(=年貢負担をする)田畑を何筆でも書き連ねていくものだとイメージしていただければ分かりやすいでしょう。

そうした帳面があると、村の庄屋(村のリーダーであり、村内の年貢徴収の義務を負わされている役職)は誰にどれくらいの年貢を出させればいいか割り振りが出来るのです。

話がそれましたが、その『田畑反別名寄帳』を見たところ、村人がそれぞれ自分の印鑑をきちんと押印していました。きっと、自身の負担分を確認させる意味で押印させられたのでしょうね。

そして、この村の人別帳(前述のとおり江戸時代末期から中期のものまで現存している)にも有難いことに各世帯の当主が印鑑を押印しています。
江戸期の印鑑というのは、結構、世代を越えて同じものを受け継いでいますので、名字がなくても印影で「家」を特定できる事があります。

検地帳には印鑑は押されていませんでしたが、『田畑反別名寄帳』により印鑑の照合をした結果、依頼人家のさらなる先祖名を知ることが出来ました。その先祖名は検地帳にもありましたので、これでまた一代、ご先祖様を遡ることが出来ました。所持していた田畑の量なども明確になり、当時の経済状況などもうかがいしれます。

それにしても、江戸期から続く日本の印鑑文化には感謝しかありません。
もう、この案件では依頼人家の先祖の印影ばかり見ていましたので、古文書の中からご先祖様を探す場合も、この案件に限っては名前より先に印影を見る癖が付いてしまいました…

さて、これで三百数十年分を遡ることが出来ました。あと少しで目標の四百年ですが、ここから先の江戸前期はまた一筋縄でいきません。悪戦苦闘が待っていることでしょう。また、有益なエピソードがありましたら、お伝えいたします。