ご先祖が「寺侍」ということも

家系図 ルーツ

第117

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1.家系図ニュース ~貴家の書籍執筆・制作サービスを開始しました~
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こんにちは、行政書士の丸山学です。

ご先祖調査・家系図作成サービスを行ったお客様からのご要望にお応えする形で、新たなサービスが生まれました。

400年コースの調査がちょうど終わったお客様から、「家の歴史を一冊の本にまとめておきたい」「出来れば国会図書館にも入れてもらって、末裔や地域の方が半永久的に読めるような形で残したい」「文章の執筆や本の制作も全て丸山さんにお任せしたい」

…というご要望をいただき、調査した内容を文章にまとめ、収集した史料も掲載し一冊の本に仕上げるというサービスを現在進めております。その上で国会図書館にも納入します。

現在、原稿もほぼ調い、これから編集・印刷・製本に入っていきます。
私はこれまで19冊ほど商業出版をさせていただいておりますし、とにかく文章を書くのが大好きですから、これは思いのほか楽しい仕事になっています。
商業出版は何千人、何万人という不特定の人に向けて執筆をしますが、これは本当にその一族の方や末裔といった「特定」の方に向けた密度の濃い作業です。
でも、そうした一族の歴史をきちんとした形でまとめるという作業が実に面白いのです。

そこで、別の400年コースを終えたお客様と雑談をしている時にこの話をしたら、「それは是非、ウチもお願いしたい」と、早速ご依頼をいただき、今、2本を並行して進めています。

この2冊が出来上がりましたら正式なサービスとして、ホームページ上でも改めてその内容や価格を告知させていただきます。自家の歴史が本になり、それが国会図書館で半永久的に保管されるって、考えてみるとなかなか凄いことですし、ご依頼人にとっても有意義だなと思います。
末裔の方にも感謝されますし、こういうご先祖がいたのだなと永久に記憶もされますね。


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◆家系図作成サービス
調査範囲を戸籍取得だけに限るリーズナブルなコース
⇒ https://www.5senzo.net/60.html
 戸籍4系統+歴史探訪報告書コース
 戸籍2系統+歴史探訪報告書コース
 戸籍1系統+歴史探訪報告書コース

戸籍を超えて徹底的に文献調査・現地調査も行うコース
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 200年たどるコース
 400年たどるコース
 1000年たどるコース
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◆twitter『ご先祖探し実況生中継ツイッター』
⇒ https://twitter.com/marujimu

◆丸山事務所特製『ご先祖探しスーパーデータベース』(日本の先祖データ)
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◆私(丸山学)の著作 重版3刷目『先祖を千年、遡る』(幻冬舎新書)
※目次・購入
⇒ https://www.5senzo.net/book-senzo.html
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2.ご先祖が「寺侍」ということも
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「江戸時代中は武士だった」
 
…という言い伝えがありながらも、その藩の分限帳(藩士の名簿・給与台帳のようなもの)を見ても合致する名前がない~というのもよくある話。

言い伝えというのは確かに完全には信頼が出来ませんが、しかし、全くの虚構という訳でもないと思います。何の根拠もなく「武士だった」という話は出てこないでしょう。

では何故に、分限帳を調べても出てこないのでしょうか?

それは、一口に武士といっても色々あるからです。上は将軍から足軽と呼ばれる下級武士まで様々…ですが、それだけでもありません。

さらに「陪臣」と呼ばれる武士がいます。これは、「武士に雇われた武士」というとイメージが分かりやすいと思います。○○藩から百石の知行を受けている武士であれば、当然にその人は○○藩士です。しかし、その藩士がまた自分のお金で武士を雇います。

そうした「武士に雇われた武士」というのが実はかなり多くいます。そして、その人たちは藩の分限帳には原則記載されません。

そうした陪臣の記録というのは、残念ながらほとんど現存していませんが、若干はあります。陪臣の分限帳には、何十人もの名前が書き出されているものがあります。陪臣の中でもまた序列があり「家老」と呼ばれる人もあります。

広い意味で同じく陪臣といえるものに「寺侍」があります。
「門跡寺院」と呼ばれる由緒ある大きな寺では、寺として武士を雇用していました。
それが寺侍です。

そもそも、江戸時代まで寺院も武士と同じように領地を幕府や藩から与えられていました。
ですから、藩士がさらに武士を召し抱えるように寺も武士を召し抱えます。

先日、ある戸籍コースの『歴史探訪報告書』を執筆する為に、その家の最古の本籍地のことを調べていましたら、そこは有名な某寺の寺侍の屋敷があった土地だということが分かりました。
もしかすると、ご依頼人のご先祖様はその有名寺院の寺侍だったのかもしれません。

このように、武士といっても色々であり「家臣の家臣」「寺の家臣」という広い意味での陪臣がたくさん存在するということです。
そして、この陪臣については史料も少なく研究者でも不明なことが多いのです。
しかし、私も仕事で執念深く探していると、そうした陪臣の記録が出てきたり、言い伝えに行き当たることもあります。

余談ですが「家臣の家臣」というのは、日本の武士の歴史のなかでは一般的な話です。戦国大名に仕える家臣たちも、その給料(石高等)によって戦争時には何人の家臣を連れてこなければならないという決まりがあった程で、武士の中では雇用関係が複雑に入り組んでいるというのは中世の頃からの習わしともいえるのです。

江戸時代に武士だったという言い伝えがありながら、藩の分限帳をみても名前がない場合には、こうした可能性を考え執念深く史料を探してみましょう。