城下町絵図を見ると武士の名前と住所が分かる

家系図 ルーツ

第130号 (2015年12月21日) ※読者数8,547人

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1.家系図ニュース~当メルマガが「2015まぐまぐ大賞」で入賞しました
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こんにちは、行政書士の丸山学です。

おかげさまで、メルマガ日本一を決める「2015まぐまぐ大賞」の専門情報部門で当メルマガが5位に入賞しました。応援いただきました皆様のおかげです。ありがとうございます。

■「2015まぐまぐ大賞」専門情報部門ランキング↓
https://www.mag2.com/events/mag2year/2015/page/cate13/

こうした入賞の影響もあり、当メルマガの読者数も8500名を超えました。
これからも、どうぞよろしくお願いいたします。

尚、今号から読者になっていただいた方の為に申し上げますと、私は先祖探しを仕事としていまして、日々全国各地に出向きまして調査をしております。下記に私の著作と、家系図作成サービスの案内を掲げております。ご参考にしていただければと思います。


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2.城下町絵図を見ると武士の名前と住所が分かる
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最近、江戸時代の「城下町絵図」が有益な史料となった案件が続いております。
 
城下町絵図というのは文字どおりで、江戸期の各藩が城内と城下を絵図面にした物です。
先祖探しにおいて重要になってくるのは、絵図に描かれた武士の家々(一軒一軒描かれています)とそこに書き込まれた武士名です。

町人地も絵図には描かれていますが、一軒一軒の家や当主名は記されていません。
ですので、城下町絵図に名前が記載されている家はほぼその藩の武士と考えて間違いないでしょう(もちろん、どんな物にも例外はありますが)。

最近お請けした九州の「200年たどるコース」では、ご依頼人自身もご先祖が江戸時代中にどこに居住していたか正確な場所は分からない。また、江戸期に何をしていた家かも不明との事でした(明治時代以降に分家や転籍をしていると、こういうケースはよくあります)。

そこで、まずはご依頼人から遡り戸籍を古いところまで取得していきました。そうしますと、明治時代前半には九州某地方都市の中心地に本籍があった事が分かりました。
現在はその場所には裁判所などの施設が建っており、ご先祖様が居住していた本籍地の地番は既に消えていました。

しかし、旧土地台帳・旧公図も取り寄せて、その裁判所の敷地内のどの辺りであるか正確に分かってきました。そうした裁判所や行政機関の庁舎がある辺りというのは大方、江戸期のお城近辺と想像がつきます。

そこで、まずは現在の地図に江戸期のその藩の城郭の位置を重ね合わせてみました。
そうしますと、その場所は城下というよりも城内(堀の内側)である事が分かりました。
 地名辞典でその土地を確認しましても「江戸期からの武家屋敷地」とあります。

普通に考えますと、明治初期に武家屋敷地(それも城内)に本籍があれば、その藩の武士であったと考えるところですが、ご依頼人によるとそのような言い伝えは聞いた事がないとの話ですから、さらに確認していく必要があります。

当該藩の幕末の城下町絵図が国会図書館に所蔵されていましたので、早速それを閲覧しました。その絵図は、武士の家に名字は記載されているものの下の名前までは記載されていませんでした(下の名前まで記載されている物のほうが多いです)。

それでも、もし依頼人家がその藩の武士であったなら、城下町絵図の本籍地に当たる部分に依頼人家の名字が記載されている筈です。それが無ければ江戸期にその藩の武士ではなく、明治時代初期に別の土地からたまたま旧城内のその土地に転籍してきたのだろうと推測されます。

…で、その場所を城下町絵図で見ていきますと、やはりその名字が記載されていました。

しかし、名字だけの記載ですから、それがご依頼人家の先祖であるという完全な証拠にはなりません。

ですので、今後さらにその藩の城下町絵図で下の名前まで入っている絵図を探していきます(九州に行かないと見られないようですし、もしかすると個人所蔵の物であり簡単には見られないかもしれませんが頑張ってみます)。

このように、城下町に本籍がある家で「町人だったのか武士だったのかよく分からない」という場合には、まず城下町絵図に当たってみる事が重要です。