第136号 (2016年12月6日) ※読者数8,547人
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1.家系図ニュース~ご依頼についてはまた4ヶ月待ちとなってしまいました
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こんにちは、行政書士の丸山学です。
有り難いことに家系図調査・作成のご依頼を多数いただいておりまして、またまた新規のご依頼受付をストップさせていただいております。
現在のところは「予約受付」という形で、現時点でご予約を頂きましたご依頼につきましては、2017年4月開始予定とさせていただいております。
ご迷惑をおかけいたしますが調査に関しましては私一人でやっており、調査の質は落としたくありませんので、受注案件が一定数に達しますと、毎度このような形を取らさせていただいております。何卒、ご理解をいただけますと幸いです。
ご予約を希望される方は下記の「家系図作成サービスの概要」ページから入り、申込みフォームでご予約をいただけますと幸いです。
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2.古い墓石には「平」「源」などの本姓が刻まれている事もある
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最近の調査で、本姓が古い墓石に彫られているのを発見し、その為にご依頼人家の千年以上前のルーツまで確認できたという事が続きましたので、今日はそのお話を。
「本姓」というのは、現在一般的に云われている姓、名字(苗字)とは別物です。
名字というのは、中世の頃に武士が自身の領した土地を主張する為に土地名を名乗ったものです(例外あり)。そして、それ以前には名字ではなく本姓と呼ばれるものを持っていました。
有名なところでは「源」「平」「藤原」「橘」などです。これらは古代日本に於いて、主に天皇から賜ったものになります。
古代日本に於いては、天皇の皇子の系統であっても皇室を離れ民間に下るという事が多くありました。 それに対して、天皇から源(みなもと)などの姓が贈られた訳です。ちなみに、源姓は「天皇家とルーツを同一にする」という意味合いです。
源頼朝の「源」がまさにそれであり、これは名字ではなく本姓になります。逆に「足利」は、平安時代末期に源義国が下野国足利荘(現栃木県足利市)を本拠として名字になったものです。
足利氏は以後、名字としては「足利」を名乗りますが、それで本姓の「源」が無くなったという訳ではなく朝廷に対して用いる公式文書などには「源」と署名する訳です。
凄く分かりやすく単純化してしまえば、本姓は公式のもの。名字は武士同士で自身の領地を主張する為の私称として始まったもの~というイメージです。
現代に於いては、さすがに源氏(源姓)の家系であっても姓を問われて「源」とは署名しませんが、明治時代頃にはまだ各家でこの本姓というものにこだわりがありました。
ですので、明治期の県職員録には「源」だの「平」だのが併記されているものがあります。
もっといえば、名字と共に記される下の名前は「通称」であり、本姓と共に記される下の名前は「実名」という事になります。
明治時代に戸籍が出来た後は、法律的には一人の人間が複数の名前を持つことは出来なくなりましたが、実際には通称、実名の複数を持っていた人も多くいたようです。 通称は「●兵衛」「●右衛門」というものが多く、実名の方は「義盛」などというように二文字のものが多いようです。
…で、前置きが長くなりましたが、先日、甲信越のある土地にご依頼人の祖先の墓石を見にいきました。ご依頼人家は明治時代以降に転籍をしているので、ご依頼人はその土地とは全く交流がありません。
そして、ご依頼人の祖先に当たる方の墓石を見つけ彫られているお名前を見てみますと、まずは通常の名字と名前のあとに「平●●」というように、本姓である平姓と二文字の実名が刻まれていました。
さらに、その二週間後くらいに別案件で東海地方の墓石を見ました。
こちらも、ご依頼人は子どもの頃には行った事があるものの、現在では全く交流がない土地でした。そこに、ご依頼人家の総本家に当たる家の墓石を見つけ(その総本家は現在では絶えてしまい、分家に当たる家が管理をされていてご案内いただきました)江戸時代の墓石を一つ一つ見ていきました。
こちらにも名字+名前の他に「源●●」と、源姓+実名が刻まれていました。名字と家紋、そして源姓というところから推測するに、こちらは宇多天皇(第59代帝 867~931年)の皇子の系統で源姓を賜った「宇多源氏」の一族と考えられます。
但し、確率からいえば墓石に本姓が彫られている可能性は決して高くはありません。 今回、連続してこのように本姓が彫られている墓石を見つけた事は非常に珍しく、私も驚いております。
このような事がありますので、古い墓石を見るときには(主に側面に刻まれている)氏名だけでなく、その下の方に「源」「平」といった文字が刻まれていないかどうか確認をしたいところです。